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2009年5月22日 (金)

聖霊降臨の主日(2009/5/31ヨハネ15章26-27節,16章12-15節)

教会暦と聖書の流れ

聖書本文

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 聖霊降臨の主日のミサの福音は、毎年同じヨハネ20章19-23節を読むことができますが、ここではB年のための任意の箇所を取り上げます。復活祭から50日目に聖霊降臨を祝うのは、使徒言行録2章(第一朗読)にあるペンテコステ(五旬祭)の日の出来事に基づいています。イエスは復活して神のいのちに上げられますが、弟子たちには聖霊が注がれます。弟子たちはこの聖霊に駆り立てられて、福音を告げ知らせ始めました。その意味で聖霊降臨は過越(すぎこし)の神秘の完成であり、同時に教会の活動の出発点なのです。

福音のヒント

0604   (1) ヨハネ福音書13~16章には、最後の晩さんの席で語られたイエスの多くの言葉が伝えられていますが、その中に、聖霊を送る約束が4箇所あります。14章16-17節、14章26節、15章26節、16章7-15節。この約束は、ヨハネ福音書ではイエスの復活の日に実現しています。「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」(20章22節)。きょうの福音の箇所は15章と16章の聖霊の約束が組み合わされていますが、わたしたちにとっても単なる未来の約束ではなく、すでにわたしたちの中に実現していることとして聖霊降臨の出来事を味わいましょう。

   (2) 「弁護者」はギリシア語で「パラクレートスparakletos」です。「パラ」は「そばに」、「クレートス」は「カレオーkaleo(呼ぶ)」という動詞から来ていて「呼ばれた者」の意味です。裁判のときにそばにいて弁護してくれる人を「パラクレートス」と言ったので新共同訳聖書は「弁護者」と訳しますが、もっと一般的に「そばにいて助けてくれる方」と受け取って「助け主」や「慰め主」と訳されることもあります。
 ヨハネの第一の手紙2章1節には「御父のもとに弁護者(パラクレートス)、正しい方、イエス・キリストがおられます」という言葉があります。これは復活して神のもとに上げられたイエスのことですが、イエスこそが第一の「パラクレートス」であるということができます。そこで、ヨハネ福音書14章16節では聖霊について「別のパラクレートス」という言葉が使われているのです。

   (3) 「真理の霊」の「真理」とはなんでしょうか。真理はギリシア語では「アレーテイアaletheia」と言います。「アレーテイア」の本来の意味は「隠されていないこと」です。ギリシア人にとって、真理とはふつうは目に見えないそのものの本質が明らかにされることだと言えるでしょう。一方、真理と訳されるヘブライ語は「エメト」です。この言葉は「アーメン(確かに)」という言葉と同じ語根で、「確かなもの、頼りになるもの」を表します。ヨハネ福音書の「真理」には「隠されている神のほんとうの姿を明らかにする」というギリシア語的なニュアンスと「本当に確かで、頼りになるもの」というヘブライ語的なニュアンスの両面があると考えられます。
 「ヨハネ福音書における真理とはイエスご自身のことである」といった人がいます。イエスこそ、神の本当の姿を明らかにした方であり、わたしたちの救いのために本当に確かで頼りになる方であることは間違いありません。聖霊の働きは、何よりも真理であるイエスにわたしたちを結びつけることだと言ったらよいかもしれません。人間の力を超える何かしら大きな力を感じたとしても、それを聖霊の働きだということはできません。大切なのは、その力がわたしたちをイエスとその生き方(愛)に結びつけるかどうかなのです。

   (4) 15章では「証(あか)しをする」ということが聖霊の役割です。15章18節~16章4節でイエスは弟子たちが受けることになる迫害を予告します。厳しい迫害の中でイエスを証しするのは弟子たちのはずですが、まず第一に「聖霊が証しをする」と言われるのはなぜでしょうか。迫害の中でも人がキリストへの信仰に踏みとどまり、キリストを証しするとすれば、そこには人間の力を超えたものが働いている、それが聖霊(神の霊、イエスの霊)なのだ、ということでしょう。わたしたちが特別な困難に直面したとき、自分の力ではどうにもならないような現実に直面したとき、それでもわたしたちがキリストに従って生きようとすることができたとしたら、それを聖霊の働きと呼んでもいいのではないでしょうか。

   (5) 16章13節で「その方」と訳されている言葉は男性形の指示代名詞ですが、もちろん聖霊のことを指しています。「霊(プネウマpneuma)」はギリシア語では中性名詞なので、中性形の指示代名詞(訳せば「それ」)が使われてもおかしくないのですが、ヨハネはあえて男性形で書いています。これは「パラクレートス」が男性形だからでしょうか。聖霊とは、素朴に言えば「神の(あるいは復活したイエス)の目に見えない働き」と言うことができます。しかし、ヨハネ福音書は、単なる「働き」ではなく、弟子たちのうちにとどまり、いつも弟子たちとともにいて、助けてくださる「方」という面を強調して、聖霊のことを人格を持つもののように語っているのだと考えられます。
 ここでの聖霊の働きは「真理をことごとく悟らせる」ことです。「真理をことごとく」と訳された部分は「真理全体」とも訳せるような言葉が使われています。「悟らせる」には「道案内する、導く」という意味の言葉が使われています。イエスはこれまで、いろいろな言葉を語ってきました。しかし、これからは聖霊が弟子たちを導くのです。聖霊の導きは、イエスがこれまで語ってきたことと別のことではなく、イエスが語られたことを、わたしたちにもっと深く理解させ、わたしたちがわたしたちの現実の中でイエスの言葉をどう生きるべきかをはっきりと示すことだと言えるのではないでしょうか。
 「聖霊」を人間の頭で抽象的に理解しようとすることは無理なことです。目に見えない神の働き、復活して目に見えないが今もわたしたちとともにいてくださるイエスの働きが、聖霊の働きなのです。「聖霊」という言葉よりも大切なのは、わたしたちの日々の生活の中に、わたしたちの集いの中に、今も神が、キリストが共にいて、何かをしてくださっているということです。わたしたちはその働きをどのように感じているでしょうか。

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コメント

真理への導きか…しかし、(個人の)真理がどのようなものかによっても違いは生じる
因みに、良い働きというのは全く感じられない
悪い方にころげ落ちてるというのは感じられる
日本社会は、いや、全世界がかな
神は結局のところ、人間の悲劇や争いの類を見て楽しみたいだけなのでは?
私的意見ですがね~

ウリエルさんの書き込みをずっと見ていて思うのですが、
ウリエルさんてすっごい有神論者ですよね。それもキリスト教の。
ここまで強く存在を信じているというのはすごいことだと思うのですが。
私的意見ですがね。

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