使徒言行録によると、復活したイエスは40日にわたって弟子たちに姿を現した後、天に上げられ(1章=きょうの第一朗読)、50日目の五旬祭(ペンテコステ)の日に聖霊が降りました(2章)。教会の暦はこれらの記事に基づいて復活節を祝っています(本来、主の昇天の祭日は40日目の復活節第6木曜日ですが、日本のようにキリスト教国でない国では日曜日に移して祝われています)。 A年の主の昇天では、マタイ福音書の結びの部分が読まれます。ここには、復活したイエスが神の子としての栄光・権威を受けたことと、目に見えないがいつもわたしたちとともにいてくださるという、復活節全体の二つの大きなテーマがはっきりと示されています。
続きを読む "主の昇天 (2008/5/4 マタイ28章16-20節)" »
先週に引き続き、ヨハネ福音書の最後の晩さんの席でのイエスの言葉です。イエスは、自分は目に見える形ではもういなくなる、しかし、何かが残るということをさまざまな形で約束しますが、その中心は「聖霊の派遣」だと言えるでしょう(14章16-17節、14章26節、15章26-27節、16章7-15節)。イエスが世を去って父のもとに行き、弟子たちに残されるもの・与えられるのは何よりも聖霊なのです。復活節の流れの中では、聖霊降臨の主日を準備するような箇所だとも言えます。
続きを読む "復活節第6主日 (2008/4/27 ヨハネ14章15-21節)" »
ヨハネ福音書では、最後の晩さんというたった一回の食事の席での出来事に、13章から17章まで(福音書全体の約4分の1)があてられています。この席でイエスは、世に残していく弟子たちに向けて長い遺言のような説教をしました。その言葉の多くは、イエスは目に見える形ではもういなくなる。しかし、何かが残る、という「約束」です。もちろん1世紀末に書かれたヨハネ福音書は、それをただ将来起こることについての約束としてではなく、今すでに自分たちの中で実現している約束として伝えているのです。そして今のわたしたちも、このイエスの約束が(不完全かもしれませんが)自分たちの中で実現している、と感じたときに、イエスは今も生きている、と確信することができるのです。
続きを読む "復活節第5主日 (2008/4/20 ヨハネ14章1-12節)" »
復活節第4~第6主日のミサの中では、ヨハネ福音書のイエスの言葉が読まれます。これらの箇所は、復活して今も生きておられるイエスと今のわたしたちとの関わりを味わうために選ばれた箇所です。第4主日は毎年、ヨハネ10章の「羊と羊飼い」のたとえですが、ここには良い羊飼いとして羊にいのちを与えるイエスと羊であるわたしたちとの深いつながりが示されています(ちなみにB年に11-18節、C年に27-30節が読まれます)。
続きを読む "復活節第4主日 (2008/4/13 ヨハネ10章1-10節)" »