【教会暦と聖書の流れ】
教会の暦には、クリスマスと復活祭を中心にした4つの「季節」(待降節・降誕節・四旬節・復活節)があり、それ以外の期間を「年間」と呼びます。王であるキリストの祭日は年間最後の主日にあたります。「王」というのは現代日本のわたしたちには馴染みにくいイメージですが、この祭日のテーマは、キリストがすべてにおいてすべてになる、終末における救いの完成ということです。ところで、王であるキリストのミサの聖書朗読箇所は年によってずいぶん違います。いずれもただ単に「キリストが王である」ということよりも、キリストが「普通の人間の王とどのように異なる王であるか」を表す箇所が選ばれています。「王」ということばにこだわらずに、この箇所そのものを味わい、分かち合うとよいでしょう。
続きを読む "ルカ23・35-43 (2004/11/21 王であるキリスト)" »
【教会暦と聖書の流れ】
教会の暦で「年間」の終わりにあたる年間第32主日~王であるキリストの祭日(年間33の翌週、年間最後の主日)を「終末主日」と呼ぶことがあります。これらの主日の典礼は「終わり」(世の終わり、あるいは、個人の終わりである死)ということに心を向けさせます。
ルカ福音書ではイエスは19・45からエルサレムの神殿での活動を始めました。マルコとマタイの福音書では終末についての説教はイエスが神殿を去り、オリーブ山で語られたことになっていますが、ルカ福音書では神殿の境内で語られています。ルカ福音書にとって神殿は、イエスの「父の家」(ルカ2・49)であり、「祈りの家」(19・46)であり、最後までイエスの活動の中心的な場なのです。
続きを読む "ルカ21・5-19 (2004/11/14 年間第33主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
教会の暦ではもう「年間」の終わりにあたりますが、このあたりの主日(年間32、33、王であるキリスト)を「終末主日」と呼ぶことがあります。「終わり」(世の終わり、あるいは、個人の終わりである死)ということに思いを馳せるときです。
ルカ福音書19・45から、イエスはエルサレムの神殿での活動を始めています。神殿でイエスは当時の宗教的指導者たちと出会いました。きょうの箇所はサドカイ派の人との間の、いわゆる「復活についての問答」です。彼らとのギャップは深まるばかりで、イエスの受難の時が迫ってきます。すべてのことばの背景には、「終わり(死)」に向かって最後まで神の子・神のしもべとして生き抜かれたイエスご自身の姿があります。
続きを読む "ルカ20・27-38 (2004/11/7 年間第32主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
ルカ福音書9・51から始まったエルサレムへの旅も終わりに近づき、きょうの福音の舞台はエリコという町(エルサレムまで20キロほど)です。この話もルカ福音書だけが伝える話ですが、イエスの旅は最後まで神の愛とゆるしを告げる旅でした。
続きを読む "ルカ19・1-10 (2004/10/31 年間第31主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
このたとえ話もルカ福音書だけが伝える話です。先週の福音(やもめと裁判官のたとえ話)との関連を考えれば、祈りについての教えが継続していると言えるでしょう。
続きを読む "ルカ18・9-14 (2004/10/24 年間第30主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムへの旅は終わりに近づいています。この話もルカ福音書だけが伝える話です。
ルカ17・20で「神の国はいつ来るのか」という問いかけがあり、イエスは「神の国は、見える形では来ない」「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(17・20、21)と答えました。同時に「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」(17・24)とも言います。そして、その時に起こるであろう天災や苦難について語りました(17・22-37)。その苦難の時に向かう心構えとして、きょうの教えも伝えられているようです。
続きを読む "ルカ18・1-8 (2004/10/17 年間第29主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムに向かうイエスの旅は神の国を告げ、神のいつくしみをあらわし続ける旅でした。きょうのこの話もルカ福音書だけが伝えるものです。
続きを読む "ルカ17・11‐19 (2004/10/10 年間第28主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムへの旅の段落の中で、ルカは他の福音書にない独自の伝承(イエスについての言い伝え)を多く伝えていますが、きょうの福音の少し前からは、マタイ福音書と共通の話が多くあります(1-2節はマタイ18・6-7に、3-4節はマタイ18・21-22に、5-6節はマタイ17・20によく似ています)。新共同訳聖書はルカ17・1-10に「赦し、信仰、奉仕」という小見出しを付けていますが、本来、1-2節、3-4節、5-6節、7-10節は別々の伝承だったと考えたほうがよいでしょう。さまざまな点において、イエスの弟子としてふさわしい生き方はどういうものかを教えることばとして集められたもののようです。
続きを読む "ルカ17・5-10 (2004/10/3 年間第27主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
イエスのエルサレムへの旅が続いています。この旅の段落の中に、ルカは他の福音書にないイエスの多くのことばを伝えています。このたとえもルカ福音書だけが伝えるものですが、お金や富の問題は先週の福音から続いているテーマです。
続きを読む "ルカ16・19-31 (2004/9/26 年間第26主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
イエスのエルサレムへの旅が続いています。この旅の段落の中に、ルカは他の福音書にないイエスの多くのことばを伝えています。このたとえもルカ福音書だけが伝えるものです。
続きを読む "ルカ16・1-13 (2004/9/19 年間第25主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
ミサの朗読には、長い形と短い形がある場合がありますが、この「福音のヒント」ではいつも長い形のほうを取り上げています。グループで分かち合う場合には、ミサほど時間的な制約がないと思うからです。なおきょうの短い形で、11節以下の「放蕩息子の父のたとえ」が省略されているのは、今年(C年)の四旬節第4主日でも読まれた箇所だからです。
ルカ福音書の文脈では、イエスはエルサレムに向かう旅を続けています。その中でイエスは父である神の姿と神の国の喜びをはっきりと示していきます。
続きを読む "ルカ15・1-32 (2004/9/12 年間第24主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
イエスはエルサレムに向かう旅を続けています。それは十字架に向かう旅であり、十字架を経て天に向かう旅でもありました。その中でイエスに従うことが、きょうの福音のテーマになっています。
続きを読む "ルカ14・25-33 (2004/9/5 年間第23主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムへの旅の段落(ルカ9・51~19・44)が続いています。ある安息日の食事の場面ですが、会食は神の国の宴=神の国の完成の姿を表すものでした。ここで語られているのは、単なるテーブルマナーや人づき合いの方法ではなく、「神の国とはどういうものであるか」ということなのです。
続きを読む "ルカ14・1, 7-14 (2004/8/29 年間第22主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
ルカ福音書はガリラヤからエルサレムに上るイエスの旅の途中にさまざまなエピソードを伝えています(ルカ9・51~19・44)。この旅は、神の国を告げ知らせる旅であり、十字架を経て天に向かう旅でした。きょうの福音もその旅の段落の一節ですが、ここから神の国についての豊かなイメージを受け取ることができるでしょう。
続きを読む "ルカ13・22-30 (2004/8/22 年間第21主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
8月15日の聖母の被昇天の祭日が今年は日曜日に当たったため、主日のミサでもこの祭日を祝うことになります。
聖母の被昇天とは、「聖母マリアが生涯の最後に、体も魂も共に(存在のすべてが、という意味)天の栄光に上げられた」という教えです。聖書には、イエスの母マリアの生涯の終わりがどうだったかという記録はありません。しかし、キリスト信者は古代からマリアの生涯の終わりが祝福に満たされたものだったと信じてきました。旧約聖書で言えば、エノク(創世記5・24)やエリヤ(列王記下2・11)のような生涯の終わり方をしたと考え、次第に「マリアは天に上げられた(=神に取られた)」と表現するようになりました。この教えは、マリアが神の特別な恵みのゆえに、例外的に普通の死を味わわなかった、ということを強調する教えではありません。キリスト者・教会の最終的な救いの完成の姿を、マリアの生涯が前もって表しているのだ、ということが大切です(第二バチカン公会議『教会憲章』第8章参照)。マリアはわたしたちの一員であり、だからこそ、わたしたちの希望の星なのです。
福音の箇所は、ルカが伝えるイエスの誕生物語の一節で有名な箇所です。エリサベトのマリアへの祝福のことばは「アヴェマリアAve Maria」の祈りに用いられていますし、マリアの賛歌は、「マニフィカトMagnificat」として歌い継がれてきました。
続きを読む "ルカ1・39-56 (2004/8/15 聖母の被昇天)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムへの旅(神の国について語り続ける旅、十字架を経て天に向かう旅)の段落が続いています。先週の「おろかな金持ち」の話の後、「思い悩むな、ただ神の国を求めなさい」という教え(22-31節)に続いて語られることばです。
続きを読む "ルカ12・32-48 (2004/8/8 年間第19主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
この箇所も、ルカ福音書のエルサレムへの旅(神の国について語り続ける旅、十字架を経て天に向かう旅)の段落の中の箇所ですが、先週の箇所からは少し(ルカ11・14~12・12)飛んでいます。この間の話の多くは、マタイ・マルコと共通するので、他の年に読まれています。きょうの話はルカ福音書だけが伝えている話です。
続きを読む "ルカ12・13-21 (2004/8/1 年間第18主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
ルカ福音書のエルサレムへの旅(神の国について語り続ける旅、十字架を経て天に向かう旅)の段落の中の箇所です。「祈り」についての教えですが、イエスの時代のユダヤ教の各グループには、それぞれのグループの特徴を表す典型的な祈りがあったようです。ルカは主の祈りをイエスに従う者の生き方を表す祈りとして考えているのでしょう。
続きを読む "ルカ11・1-13 (2004/07/25 年間第17主日)" »
【教会暦と典礼の流れ】
先週の「善きサマリア人のたとえ」同様、エルサレムへの旅の段落に置かれた、ルカ福音書だけが伝える物語です。この旅は十字架を経て天に向かう旅であると同時に、神の国について語り続ける旅でした。ですからきょうの箇所も、福音書の文脈の中では、「イエスのことばを聞く」というテーマで受け取ったらよいかもしれません。
続きを読む "ルカ10・38-42 (2004/7/18 年間第16主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
エルサレムへの旅の段落に置かれた、ルカ福音書だけが伝える物語です。この旅は十字架に向かう旅であると同時に、神の国を告げる旅でした。この話の前に、「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これはみ心にかなうことでした」(21節)というイエスのことばがあります。ここでは、その「知恵ある者・賢い者」の代表である律法学者が登場してイエスと議論します。たとえ話のサマリア人の姿は「ここに神の国がある。これが神の国なんだ」と言っているかのようです。
続きを読む "ルカ10・25-37 (2004/7/11 年間第15主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
今年の年間主日はルカ福音書をとおして、イエスの活動の歩みを追っていきます。先週の箇所から、ルカ福音書の「エルサレムへの旅の段落」(9・51~19・44)が始まっています。
きょうの箇所は72人の弟子が派遣される場面です。
続きを読む "ルカ10・1-12, 17-20 (2004/7/4 年間第14主日)" »
【教会暦と聖書の流れ】
今年の年間主日はルカ福音書をとおして、イエスの活動の歩みを追っていきます。
今日の箇所はイエスがエルサレムに向かう旅を始める箇所です。ルカ福音書は19章まで続くこの旅の間に、マルコ福音書にはない多くのエピソードやイエスのことばを伝えています。
ルカ福音書によれば、エルサレムへと向かうイエスの旅は、十字架に向かう旅であると同時に、「天」に向かう旅でもあります(51節)。その中でイエスに従う人々には、他者への寛大さと、自分自身への厳しさ(覚悟)が求められます。
続きを読む "ルカ9・51-62 (2004/6/27 年間第13主日)" »