年間第15主日 (2008/7/13 マタイ13章1-23節)
教会暦と聖書の流れ |
先週の福音の箇所はマタイ11章の結びでした。マタイ12章は主日のミサの朗読配分では省略されていますが、そこには、安息日に病人をいやし、悪霊を追い出すなどのイエスの活動と、それに対するさまざまな反応が伝えられています。イエスのメッセージが簡単には受け入れられなかったという現実の中で、それでも天の国(神の国)は力強く成長している、ということを語るのがきょうの13章のたとえ話集だと言えるかもしれません。
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先週の福音の箇所はマタイ11章の結びでした。マタイ12章は主日のミサの朗読配分では省略されていますが、そこには、安息日に病人をいやし、悪霊を追い出すなどのイエスの活動と、それに対するさまざまな反応が伝えられています。イエスのメッセージが簡単には受け入れられなかったという現実の中で、それでも天の国(神の国)は力強く成長している、ということを語るのがきょうの13章のたとえ話集だと言えるかもしれません。
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マタイ11章では洗礼者ヨハネやイエスを受け入れなかった人々のことが語られています。「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人(つみびと)の仲間だ』と言う」(18-19節)。確かに当時、イエスを受け入れた人々と受け入れなかった人々がいたのです。きょうの箇所は、そのような状況の中でのイエスの祈りと、人々に対する大きな招きとして読むことができるでしょう。
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初代教会の中心的な指導者であるこの二人を一緒に祝う祭日は毎年6月29日ですが、主日にあたった年には、主日のミサでもこの祭日を祝います。福音の箇所は、マタイ福音書が継続して読まれている今年(A年)の、年間第21主日(8月24日)と同じ箇所です。この箇所では、これまでずっとイエスに従ってきた弟子たちを代表して、シモン・ペトロがイエスに対する信仰をはっきりと宣言します。
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先週に引き続き、12使徒を派遣するにあたってのイエスの言葉です。天の国の福音を告げ、悪霊を追い出し、病人をいやす使徒たちの活動は必ずしも好意的に受け入れられるとは限らず(マタイ10章14節)、むしろ、迫害を受けることが避けられない(10章17-23節)ことをイエスは予告します。そして、その中でどういう態度を取るべきかがきょうの箇所で語られるのです。
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マタイ4章~9章では「天の国」について語り、多くの病人をいやすイエスの活動が伝えられてきました。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ9章35節)は、そのまとめと言えます。きょうの箇所はその続きで、イエスがなさってきた活動をさらに広げていくために、ここで12人の弟子が選ばれ、派遣されることになります。
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主日のミサの朗読配分は3年周期になっていますが、今年(A年)の年間主日では、マタイ福音書をとおして、イエスの活動の歩みを少しずつたどっています。先週まで続いた長い山上の説教(5-7章)の後、マタイ8-9章では、病人をいやしたり、湖の嵐を沈めたりする、イエスのさまざまな活動の様子が伝えられています。
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A年の年間第4~第9主日のミサの福音は、マタイ福音書5~7章の「山上の説教」が読まれることになっています。しかし残念ながら、四旬節・復活節と三位一体の主日・キリストの聖体の祭日を挟むため、ほとんどいつも、いくつかの年間主日は実際には祝われないことになります。きょうの箇所はその「山上の説教」の結びの箇所です。
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キリストの聖体の祭日は本来、聖霊降臨後の第二木曜日ですが、日本のような非キリスト教国では日曜日に移して祝われます。教会暦の流れから言えば、この祭日は、三位一体の主日と並んで四旬節・復活節の「余韻」と言ってもよいでしょう。聖体は、「キリストの死からいのちへの過越(すぎこし)」にわたしたちが結ばれることを意味しているのです。なお、特別に聖体の制定を記念するミサは聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」です。「聖体」という同じテーマを、復活節が終わった今、もう一度味わい直すことになります。 A年の福音の箇所は、ヨハネ6章から採られています。イエスが5つのパンと2匹の魚を5千人以上の群集に分け与えたという出来事をきっかけにして、パンをめぐるイエスと人々の対話が始まりますが、そのイエスの言葉の頂点と言うべき箇所がきょうの箇所です。
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聖霊降臨の主日で復活節は終わりましたが、次の日曜日は三位一体の主日という特別な祭日になっています。教会の暦は、四旬節から復活節という約3ヶ月間をかけて、イエスの受難、死、復活、昇天、聖霊降臨を記念してきました。その余韻のようなこの祝日は、「三位一体」という神学的な教えを考える日というよりも、イエスの受難・死を見つめ、その復活を知り、聖霊降臨を祝ったわたしたちが、神の大きな救いの出来事を振り返り、父と子と聖霊の働き全体を味わう日だと考えればよいでしょう。
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日本語では「聖霊降臨」ですが、ラテン語などヨーロッパ諸言語では元のギリシア語のまま「ペンテコステ」(「50番目」の意味)と呼ばれる日です。第一朗読の使徒言行録2章1-11節の記事に基づき、復活祭から50日目の日曜日に、使徒たちの上に聖霊が降(くだ)り、教会の活動が始まったことが祝われます。一方、福音の記事は復活節第二主日にも読まれた箇所で、復活の日の夕方、使徒たちに聖霊が与えられたことを伝えています。日付や場面は異なりますが、イエスの復活後、使徒たちが教会の活動を始めるにあたって、聖霊の働きを強く感じたことが記念されるのです。ここでは、ヨハネ福音書と使徒言行録の両方の箇所をとおして、わたしたちに与えられている聖霊の働きを味わうことにします。